ひとみなかみのしゅしょく_【メモ3】

 年老いた巫女が一日の大半を礼拝堂の窓辺で過ごした。ゆったりとした椅子が窓辺に置いてある。窓はいつも小さく開かれており、絶えず潮風が部屋の中に入ってくる。そこで年老いた巫女は、海をじっと見つめて過ごしている。
 夏至が近づき、日の光が強くなっていた頃のことだ。朝の雑務を終えた頃合いを見計らって、年老いた巫女は、巫女見習いの少女を鈴を鳴らして呼んだ。廊下響く足音で、少女が早足で礼拝堂に近づいているのが分かった。扉のない礼拝堂の入口までくると、少女は深々と礼をしてから礼拝堂に入った。
 そうして、ゆったりとした椅子に腰かけた年老いた巫女は、床に膝をついている巫女見習いの少女と対面した。年老いた巫女は言う。「人間一皮むけば、皆、色々だ。」見習いの少女は巫女の許可を得て質問をする。「巫女さま、その『人間』の中に私たち巫女は入っているのでしょうか。」
 年老いた巫女は微笑む。「とても良い問いだね。人と人との間に生きるのが人間ならば、巫女は人と神の間に生きるもの。」「私たちの姿は『人間』のそれだ。けれど、私たちは『人間』ではないのだよ。」見習いの少女は得心したように大きく頷いた。巫女は続ける。「『人間』と器が同じであるからこそ、巫女は『人間』と同質であってはならないのです。『人間』との性質の違いに気を配らなければならないのです。」
 見習いの少女は膝を付けたまま、年老いた巫女に深く頭を下げ、退出した。見習いとしての雑務が残っていたのだろう。彼女の足音から、早足で廊下を進んでいく様子が伝わってきた。
 彼女たち巫女の住処、神殿は岬の突端にある。そこが、海に住まう神々と最も近い所だからだ。代々の巫女は修業を終えると、海の声が聞こえるようになり、風の色が見えるようになる。海の声を聞き分け、風の色を見定めることで、天候を予測できるようになる。そうして、神の意志として先々の天候を人に伝えるのだ。それが巫女としての最も重要な役目だ。そして古い巫女は、その教えを新しい巫女に引き継いでいく度に、徐々に、海の声が遠くなり、風の色が薄くなっていく。
 椅子に腰かけたままであったが、年老いた巫女は、海の声が小さく、風の色が薄くなったことを感じた。彼女の中にあった巫女たるものの核心が、見習いの少女へ引き継がれた印だった。見習いの少女の成長を、年老いた巫女は嬉しく思い、脈々と受け継がれて来た教えを、次の代に引き渡せたことを誇らしくも思った。そして同時に、長いこと慣れ親しんだ、声が、色が消えていくことに一抹の寂しさも感じた。
 「『人間』一皮むけば、皆いろいろさ。」年老いた巫女は、ゆったりとした椅子に腰かけ直し、海を見て呟いた。