小吉の話

ねずみといいましても、近頃は色々なものがおります。
まず、住むところが様々です。森の中、街の中、そして人の家の中。
また、その生業も様々です。巣作りの材料を集める便利屋、抜け道、裏道を教える情報屋、そして、柱に彫刻をする芸術家。
このように色々おります、ねずみのうち、今日は、人の家の中に住む一匹のお話をご用意して参りました。
このねずみ、20人兄弟の末息子で、名を末吉と申します。
末吉は、長男の大吉と三男の中吉とともに、人の隙をついて食べ物を集めることを生業としておりました。
この三匹の仕事はきっちり役割分担ができております。
まず、大吉は食器棚の上から人や猫どもを見張り、その様子を尻尾の形を変えて弟たちに伝えます。
次に、中吉は、兄の合図を頼りに真一文字に駆けてゆき、食べ物を咥えて巣穴の入り口に戻ります。
そして、末吉の役目は、食べ物に気を取られている小吉のため、巣穴までの道を守ることでした。
中吉はたいてい、野菜や魚の端を咥えて参りますが、ごくごくまれに、果実をかっぱらって戻ることがありました。
ある年の重陽の晩、中吉は、ザクロをかっぱらって戻って参りました。大吉は弟からその実を受け取ると、きっちり3等分し、弟たちに渡しました。
「今日は中吉のおかげで初物にありつけた。」
「2人あっての俺だからさ。」
ひとしきりお互いの労をねぎらい合った後、三匹は銘々の巣穴へ戻っていきました。

さて、自分の巣穴に戻った末吉。彼は一人もんもんとしておりました。去り際の兄の言葉が、心にちくりと刺さったからです。
「あぁ、死んだ母さんにも食べさせてやりたかったなぁ。」
末吉らの母は、放浪癖のある夫を頼らず、一人で20匹の子を産み育てた、たいそう肝っ玉のでっかい ねずみで、どんなときも、しゃんと背筋を伸ばしておりました。けれど、苦労の跡は隠しきれず、背中の毛は抜け落ちて大きな禿ができ、その手はあかぎれだらけでいつも真っ赤でした。
末吉は、そんな母の姿と兄の言葉を思い返す内に、ザクロを自分が食べてもよいのか、分からなくなっておりました。
しばらく頭を抱えておりましたが、思い悩むことに疲れた末吉は、ざくろを巣穴の奥に放り出して、その日は眠ることにしました。
それから末吉は、果実を分配された折には、口をつけずに巣穴の奥に放り込んでおくようになったのでございます。

末吉が果実を放っておくようになってから、3度目の満月が昇ったころ、大吉はあることに気づきました。「おい、末吉、お前から、なんだか妙な臭いがするぞ。」
自分と目を合わさず生返事をした末吉に、大吉はきっぱりと言いました。
「お前、きちんと巣穴をそうじして、毛づくろいを欠かさずしているのか。俺たちのような仕事は、人や猫に見つかったら、おしまいなんだぞ。その時、始末されるのは、お前だけじゃない。もうお前は素人じゃないんだ。ここらできっちりと、かっぱらい屋として生きてくんだと腹を決めろ。」
その言葉にも、末吉はただ黙ってうなずくばかりでした。

そこから、4度目の三日月が昇った頃、今度は中吉が言いました。
「おい、末吉、ちょっと待ちな、そこに座ってよくお聞き。平生のお前の仕事ぶりには、俺も兄さんもたいそう感謝してるよ。だから、な、鼻の効くやつらに見つからないようにさ、きっちりとした身なりをしてれ。それさえ適えば、俺も兄さんも、お前に言うことはもう何もないよ。」
その言葉にも、末吉はただ黙ってうなずくばかりでした。

そこからさらに、6度目の新月の晩、中吉から話を聞きつけて心配した長女の吉子姉さんが、嫁ぎ先の森から訪ねて参りました。
「ねぇ、末吉よ、最後までちゃんときいてちょうだいよ。お前は母さんを早くに亡くしたから、一人でなんでもしょい込んじまうね。でもね、お前は今一匹で生きているのかい。そうじゃ、ないだろう。何か困ったことがあるのなら、ほら、姉さんに、はなしてごらん。」
その言葉にも、末吉はただ黙ってうなずくばかりでした。

それからしばらくした、下弦の月の晩のことでした。とうとう、末吉は仕事の最中に猫に見つかってしまいました。猫の鋭い爪を避けきれず、末吉は背中に大きな傷を負いました。
その様を見ていた大吉は、棚の上から大皿を蹴落としました。がっちゃん、猫が大きな音に驚いてその動きを止めている隙に、大吉と中吉は手近な窓から家の外へ、末吉は自分の巣穴へ逃げていきました。

命からがら、一人巣穴に戻った末吉。布団代わりの板きれの上に倒れこみ、ぴくりともしませんでした。
傷口の熱さにうなされながら末吉は、「もうどうにでもなれ」と静かに目を閉じました。

しばらくすると、巣穴の奥で腐っていた果実の汁が、じわりじわりと末吉に近づいて参りました。そのまま、するすると板の下に潜り込んだ果実の汁。板ごと末吉を巣穴の外へ運び出し、雨どいを伝って、庭へと押し出しました。庭へと出ても板の上の末吉はぴくりともしません。

そんな末吉の姿を哀れに思ったのか、冷たい夜風は背中の傷を冷やしてやり、月は雲の中に身を隠し、猫の夜目もきかないほどの闇をつくってやりました。そして、果実の汁を吸った草は背を伸ばし、末吉の顔に夜露を1滴、かけてやりました。

「俺はいったいどうしたいのだろう。」
夜露で頭が冷えた末吉は自分に問いかけました。繰り返し、繰り返し夜通し問い続けました。

そして、朝日が東の雲を紫に桃に染め上げるころ、末吉の頭にぽっかりと答えが浮かびました。
「俺はザクロが食べたい。」
浮かんだ小さな答えをかみしめた末吉。涙がぽろぽろとこぼれました。泣きながら末吉は自分の心がしぃんと静かになっていくのをじっと感じていました。

涙をぬぐった末吉は板の上から身を起こしました。
何かあったときのために、と兄から教えられていた庭の木に向かって、這うように、一歩一歩進み始めました。
「俺はざくろが食べたい。」
繰り返し、繰り返し、心の中で唱えながら進んでおりました。

庭の木のうろの中にひそんでいた大吉と中吉。二匹はじりじりと近づいてくる弟を見つけました。
痛みをこらえて末吉は木の幹に爪を立てました。その姿を見た二匹は、末吉にむかって腕をめいっぱい伸ばします。
木のうろの中に引き上げられた末吉は、二匹の兄を見据えて、こう、申しました。
「俺はざくろが食べたい。」
「ばか、礼を言うのが先だ。」大吉はいつものように叱り、中吉はニヤニヤ笑っておりました。
東の雲を染め上げた陽光が大気の水の粒に反射して、空気がきらめき始めました。
「起きたら、新しい家を探すぞ。」そういうと大吉は眠ってしまいました。「ああ。」短く返して中吉も眠ってしまいました。
末吉は、背中がうろの壁に当たらないよう横になり目を閉じました。
深い眠りに落ちる前、末吉は、「俺はザクロを食べるのだ。」もう一度心の中で言いました。

背中の痛みで、末吉が目を覚ますと、そこは果実の汁に運び出されたはずのもといた巣穴でした。
末吉は身をよじり、巣穴の奥で腐りかけているザクロに腕を伸ばしました。
爪の先にかかったザクロを引き寄せて、末吉は一口齧りました。
「俺はザクロを食べるのだ。」もう一度心の中で言いました。


その時、末吉の食べたザクロの味は、私どもには知る由もございません。

ここまで、聞いて頂きましたのは、意地っ張りで一風変わったねずみのお話しでございます。