箱入り娘_投稿用

 山間にある小さな町には、広い田畑の中に古い家屋がぽつりぽつりと建っている。この町に、新しい家が建ち、小さな子どもを連れた一家が都会から越してきた。真新しい家の屋根は空よりも濃い青で、その家には小さい庭があった。庭で一番日当たりのよい場所には、アジサイがいくつも植えられていた。アジサイに緑色の蕾が付き始めた頃、その葉の裏に数十個の黄色い小さな卵が産み付けられた。

 青葉の風が薫る中、シロは薄い膜に包まれて、光に満ちた淡い夢を見ていた。二日後、シロはゆっくりと薄い膜を破って外に出た。葉を揺らす風は、濡れた体を心地よく乾かしてくれた。アジサイの柔らかな茂みの中、沢山の兄弟たちがシロと共に生まれた。

 シロたちが膜から出た頃、月は白い姿で昼間に顔を出していた。シロたちは、アジサイの葉についていたウドンコ病菌などの菌類を食べて少しずつ大きくなった。シロたちが三回の脱皮をしている間に、月はまんまるの姿で真夜中に空へ昇るようになっていた。月のない昼空の下、シロたちは、今までよりも沢山の菌類を食べた。それから、蛹になってぐっすりと眠った。

 南の空に半分に欠けた月が昇り、東の空が白く染まる頃、シロたち兄弟は蛹の殻を破って外へ出た。橙色や乳白色の小さな粒が、殻を破り次々と現れた。シロたちは、羽根を伸ばす場所を探して、のそのそとアジサイの葉を歩き回った。太陽が東から南の空へ駆け上がる頃には、シロたちの羽根はしっかりと乾き、丸い体の中に納まっていた。

その日、シロたちはぼんやりと過ごした。それは、大きな人間たちがシロたちを「エキチュウ」と呼び放っておいてくれたおかげだった。小さな人間たちがシロたちを見つけて指で突く他は、シロたちを害するものはなかった。

 半分に欠けた月が更にその身を削る頃、シロの兄弟たちは銘々の道を定めて巣立って行った。ある者は、害されないという噂を信じてバラの木を目指し、また、ある者は、沢山の卵を産めるようにと畑を目指して旅立って行った。

 兄弟たちが外へ外へと飛び出す中、シロは、あるものに心を奪われていた。それは、アジサイの茂みの向こうから、毎日昼過ぎに聞こえるポロンポロンという音だった。ポロンポロンの調べを聞きながら「なんの音かしら。どんな生き物の声かしら。」と空想を膨らませている間、シロはとても幸せだった。

 シロが空想の中にいる間にも、兄弟たちは次々と街や山を目指して旅立った。そして、とうとう、庭のアジサイにはシロだけが残された。それでもシロは、ポロンポロンの調べを聞きながら「私って箱庭入り娘ね。」と微笑むばかりで、どこへも行こうとしなかった。

 雨の日が晴れの日より多くなり始めた頃、空を低く飛んでいた燕が、シロを見つけた。燕はシロを目がけて真っ直ぐに降りて来た。シロはびっくり驚いて、足を滑らせアジサイの茂みの中に落ちた。燕はシロを見失った。名残り惜しそうに庭を旋回して、燕は空へ戻っていった。茂みの中で震えながら、早鐘のように波打つ自分の鼓動をシロは聞いていた。「あぁ、怖かった。」震えながらシロは呟いた。「あぁ、生きてる。私、生きている。」震えながらシロは旅立つことを決めた。

 シロはポロンポロンの正体を突き止めに行くことにした。次の日、シロは昼過ぎまでポロンポロンの音が鳴り始めるのを待った。音が聞こえると、すぐにシロはアジサイの葉を飛び立った。そのままシロは、小さく開いた窓の隙間に飛び込んだ。

 シロが飛び込んだ先には、見たこともないほど大きな黒い塊があった。その前には小さな人間が座っていて、白い歯を指で叩いていた。ポロンポロン、シロの心を捕らえたその音は、黒い塊から聞こえてくる。シロはおそるおそる小さな人間の指に止まった。小さな人間は少し驚いたようだった。けれど、シロを指に乗せたまま、白い歯を叩き黒い塊で音を奏で続けた。シロは小さな人間の指の上で、嬉しい気持ちから震えていた。ポロンポロンの音を、まるで自分が操っているようだと、シロは思った。シロは目を閉じてその音に聞き入った。「あぁ、生きてる。私、生きている。」シロは心の中で呟いた。

 バーン、と大きな音が響いた。小さな人間の手を、一回り小さい人間の両手が抑えている。両手で強引にシロを捕まえて、一回り小さい人間は喜んだ。「白い星のテントウムシだ。」シロは苦しくなって身をよじったが、一回り小さい人間はシロを手放さなかった。

それから数日後、絵本の並んだ本棚の上に小さな木箱が置かれた。木箱の底には白い斑点が十個並んだ、シロが美しい姿でいた。