男の見た夢_1

ある晩、作造は夢を見た。夢の中で作造は山中を歩いていた。目の前には石仏が浮かんでいる。それは、田畑へ向かう途中の道にいらっしゃる石仏で、作造は何んとなしに、願をかけることもなく、「有難や有難や」と朝夕手を合わせていた。ふわふわと風にのり漂う石仏の後を、作造は追いかけた。石仏は山道を登り、沢の方へ向かっていた。普段は熊が出るからと、作造も周りの者もその沢には近づかなかった。
 沢に着いた。沢の片岸に紅色をしたひし形の花が咲いている。何という花だったか、と作造はぼんやり思った。石仏は作造の様子など意にかけず、沢に沿って山の奥へ奥へと昇っていった。物思いをしていた作造、自然と視界が下向きになっていた。すると、ごごう、という大きな音が聞こえて来た。驚いて、作造が顔を上げるとそこには滝があった。作造の身の丈の5倍の高さから、真一文字に水が落ちている。その滝に着くと、それまで作造に背を向けていた石仏が、くるりと振り返った。そして、ふんわりと微笑むと石仏は滝壺の中へ消えていった。
 あばら家に隙間から朝日が入ってくる。その眩しさで、作造は目覚めた。粗末な茣蓙の上に寝転んだまましばらく考えた。あばら家の天井は、屋根の裏がむき出しで、雨漏りしている所が黒く変色している。やおら、男は起き上がり、身支度をし始めた。顔と口をすすぎ、手ぬぐいで拭った。粗末な寝巻を脱ぎ、粗末な野良着を着て、今にも鼻緒が切れそうな草履をはいた。作造は、野良仕事の始まる前に、夢で見た滝へ行くことにした。
 作造が外へ出ると、濃紺の空はちょうど白み始めた頃だった。太陽のまだ昇っていない中を、男は山に向かって歩いた。山に入るとまだ足もとが暗かった。それでも作造は夢で辿った道の記憶を頼りに山を登った。作造が沢を見つけた頃に、そらはより明るくなっていた。沢に咲いていたひし形の花は、夢より一層濃い紅色だった。昔、ばあさまが、あの世とこの世の境の川辺にも紅い花が咲くと言っていたな、不意に作造は育ての母である、祖母の顔を思い出した。そういえば、あの石仏はばあさまに少し似ている、作造は思った。
 作造は、沢に沿って山を登り続けた。熊には出会わなかった。道中、作造は下向きに歩いて、物思いに耽った。あの紅い花模様のかんざしを拵えたら、あの娘にさぞ似合うに違いない。紅い花は、漆だろうか紅玉だろうか。どちらも俺の稼ぎでは出が届かぬがな。ごごう、という大きな音が聞こえた。作造は物思いから現実に立ち戻り、音のする方を探しながら歩いた。作造が滝を見つけた頃には、太陽が男の背中を明るく照らし始めていた。「こりゃ急がないかんな。遅くなってしまっては、与平辺りが地主に告げ口するやもしれん。」作造の独白は滝の音に吞み込まれ、消されていく。
 ずいぶん歩いたので、喉が渇いていた。作造は滝壺の方へ近づくと、手を柄杓代わりに水を飲んだ。水の中をのぞき込む姿勢になった時、何かが光って見えた。どうしても何が光ったのか知りたくなった男は、着物を脱いで辺りの木にかけ裸になった。ざぶんと、音を立てて水の中へ入っていく。初夏の水は冷やりと作造の肌を刺激した。山を登って火照っていいた身体は、あっという間に冷えていった。