末っ子ねずみ、末吉の話 2

 とある田舎に農家を営む家族の平屋の一軒家があり、そこには、ねずみの一家が暮らしておりました。一家といいましても、お父さんねずみはあまり家に居ませんでした。お父さんねずみには放浪癖があり「山が俺を呼んでいる」と言って旅に出たり、「海が俺のために泣いている」と言って旅立ったりするのです。一度旅に出ると二、三か月は留守にしますので、ほとんど家を空けておりました。なので、この一軒家では、お母さんねずみとその十人の子どもたちで暮らしていました。
 このお母さんねずみは、放浪癖のある夫を初めから頼りにはせず、一人で十匹の子を産み育てた、たいそう肝っ玉のでっかいお母さんでした。お父さんねずみの稼ぎがなく生活が苦しい時でも、しゃんと背筋を伸ばして前を向いておりました。また、農家の一家に飼われている猫に見つかってしまったときもありました。その時には、子どもたちが銘々逃げおおせるまでその尻尾で猫の注意を自らに引き続けておりました。肝っ玉の据わったお母さんねずみですが、その苦労の跡は隠しきれません。十一匹分の食料を背に負って一日に何往復もしていましたから、お母さんねずみの背中の毛は抜け落ちて大きな禿ができていました。また、着ている物に臭いが付くと、猫に見つかりやすくなってしまいます。そこでお母さんねずみは、毎日十一匹分の洗濯物を洗っていました。ですから、お母さんねずみの手はあかぎれだらけでいつも真っ赤でした。
 十人の兄弟の内訳は、女の子が六人、男の子が四人です。お母さんねずみは、五匹ずつ子どもを産みました。放浪癖のあるお父さんねずみでしたが、妻の出産の時には必ず家に居て、食糧を調達したり、洗濯をしたりして、お母さんねずみを助けておりました。また、子どもたちの名づけもしておりました。上の五匹の兄弟は、幸子、福子、明子、大吉、中吉と名付けました。下の五匹の兄弟は、和子、加子、亜子、小吉、末吉としました。放浪癖とは一種の病気のようなものです。出産と育児でお母さんねずみが巣から動けない間は家におりますが、子どもたちが大きくなると、ある日突然、何かに呼ばれてふらりと旅に出てしまうのでした。
 ふらりといなくなるお父さんねずみのことを、上の五人の兄弟はよく思っていませんでした。それもそのはずです。お母さんねずみが二回目の出産をした頃には、彼らは十分に大きくなっていましたから。上の五人の兄弟は、お父さんねずみが家に居ることの頼もしさも知っています。そして、それ以上に、突然旅に出てしまって家から居なくなる寂しさも知っています。お父さんねずみが家にいない寂しさは、年月とお父さんねずみの旅の回数が重なる毎に、だんだんと憎しみにも似た激しい感情に変わっていきました。上の兄弟五人は、一人前のねずみに成長する中で、その激情と折り合いをつけていかねばなりませんでした。
 反対に、下の五人の兄弟は、お父さんねずみにあまり関心がありませんでした。それもそのはずです。彼らが物心つく頃には、お父さんは旅ばかりの毎日で家に居ることの方が稀でしたから。肝っ玉の据わったお母さんねずみと、それぞれが頼もしく成長した上の五人の兄弟が、いつでも下の五人の兄弟の世話を焼き、守ってくれました。なので、下の五人はお父さんねずみのいる頼もしさも、お父さんねずみが旅に出てしまう寂しさも分からないままに、一人前のねずみへと成長していったのです。
 お母さんねずみは毎日よく働きました。ただ、お母さんねずみは働き過ぎたのでしょう、ある日倒れてしまいました。上の五人の兄弟は、一生懸命の看病をしました。大吉と幸子の二人は、病に行くという草や木の実を求めて、慣れない森の中へ行きました。残った三人は、代わる代わるお母さんねずみに水を飲ませたり、額の布を冷たいものに変えたりしました。下の五人の兄弟は、上の五人の兄弟の代わりに、食糧を調達し、洗濯をしました。お母さんねずみが倒れてから十日後、お父さんねずみが久々に旅から帰って来ました。それから、お父さんねずみはお母さんねずみの傍を一時も離れず、手を握って励まし続けました。けれど、看病と励ましの甲斐なく、お母さんねずみは空へと旅立っていきました。お母さんねずみが空へ昇ってから三日後、お父さんねずみはお母さんねずみの遺骨を持って旅に出ました。「あいつが好きだった花を、世界中の美しい花々を見せてやるんだ。」と兄弟たちに言い残して。